flat、最終話 完結8巻 感想
※ネタバレ注意です※
flatの特徴は主人公平介の高校生らしからぬ落ち着きすぎたたたずまいと、そんな平介になついた秋くんのぼんやりとしたやりとりがメインでした。
最終話は秋くんが平介たちではなく父方のお爺さんの家に預けられることになる話で、今までゆるゆると築き上げてきた二人の信頼や仲良くなった友達との別れという幼児にとっては大事件な別れの話。
大人であれば電車で会いに行ける、そして口々に発せられる「引っ越すわけでもないのに」「一生の別れでもあるまいし」に、秋君はしょんぼりしていく様が子供純粋さを思わせられます。
平介自身がやはり今までと変わりなく、特に寂しいとも思わないので取り繕えないのがやはり平介だなあと思わせます。最終話でもマイペースさは相変わらず。
言ったら落ち込むことはわかっていても、平介自身は同情心もわかないことをはっきり言います。
「どう頑張っても湿っぽくはなれないし、なれたってそんなの、嘘だよねえ」の平介のセリフがとても好きです。
友人たちに誠実な人間みたい、と突っ込まれてしまうのが平介らしいところではありますが、やはり秋くんと過ごすようになってただただマイペースなだけにみえた平介でも、秋くんとの接し方は平介なりに誠実に向き合っていってる結果というのが改めてわかります。
flatは日常物という区分の中でもかなりゆるめのハートフル漫画ですが、男子高校生と幼児のゆるいやりとりの日常だけで8巻も続いただけあって、会話の応酬の中にはっと見落としがちな視点がよく隠れていてそこが面白いものです。
最終話であれば、平介たちとの「お別れ」に寂しがり元気がない秋君に、平介や大人たちは大したことではないし、もう二度とあえないわけではないと慰める。
子供にとっては大きな寂しさを大人たちがなだめる様は現実でもよくあることですが、「湿っぽく取り繕うのは嘘になる」とした平介の言葉に佐藤が返した「でもひとりだけがヘコんでるって孤独じゃね?」「実際寂しいのは秋くんだけだしひとりぼっちだよ」
五人兄弟の真ん中育ちな佐藤ならではの視点でした。
大人たちはみんなおなじことをいう、と秋くんがこぼしていたり、また平介の母が「別れの重さは人によるのよ」と話しているシーンも印象的です。
大人と子供だけではなく、あらゆる人間関係で当てはまる言葉だと思います。
平介もまた佐藤の指摘をうけたり、また虎太郎による平介は無神経の話から必死にフォローしてくれる秋くんをみて、「春には落ち込まない背中をと ぬくぬくと過ごしてくれたらいいんだけど」と言っています。
作中は冬の話ですが、ここで最終話が春の桜舞う風景の表紙であり、秋くんが笑い、平介がいつも通りの無表情で見守っているさまが本当にこの最終話にふさわしい絵であることがわかります。
後半、秋君の平介たちの家から秋君の荷物の片付けのために二人が会話します。
いよいよもって二人の別れの予感が増し、やはり平介もお別れ感増すねえと言ってしまってまた秋くんが落ち込んでしまうのは最早様式美ですね。
今までもずっと同じように平介の言葉で一喜一憂したり、少しだけ平介がそれで落ち込んでしまったりと最終話とはおもえないほどいつも通りなのがflatならではの良さです。
しかしいつもと違ったのは平介が秋くんに贈った言葉。秋くんのお父さんのパパ…お爺ちゃんの家でも楽しくなるといいねと告げる平介。
「ひとりぼっちでがまんすることが少なくなればいいんだけど」
秋君は純粋で最初はよく自分のことを我慢していた子なので、この言葉がなによりも秋君を揺さぶったのだろうと思います。
平介とおわかれ嫌だと泣く秋君は、それまでしょげたり落ち込んだりで済ませていた我慢ができなくなるほど、さみしかったのだとわかる流れでした。
なによりも、あの秋くんが大泣きしながら平介にすがりつき、平介もそれに感化されて「こっちまで寂しくなっちゃうよ」といったシーンがとても印象的です。
人間らしくないといわれていた平介が秋君と過ごしここまで情緒あふれる言葉と感情を出したことがぐっときました。
とはいえ悲しく寂しい雰囲気で終わらせないのはさすがです。
平介のお母さんの「さよならより、またねって感じ?」は、最終話でこの作品が終わる事をうけての作者から読者への言葉にも思えました。
秋君の両親たちも秋君が本当に嫌ならおじいちゃんのところに行かなくてもいいよと言っているのも、この作品の良さであります。
悲しさを引きずるような終わりではなく、彼らの日常は変わらずゆったり続いていくことを示す終わりで大変満足でした。