志乃ちゃんは自分の名前が言えない、最終話 感想
※ネタバレ注意です※
本作の最終回で印象的なのは、何と言っても、引っ込み思案だった志乃が大勢の人の中で、自分の感情にまかせて声を張り上げるシーンです。
しかも彼女はただの引っ込み思案ではなく、吃音という大きなハンディキャップとコンプレックスを抱えた身。
タイトル通り自分の名前すらうまく発音できずに悩む彼女が、人前で声を張り上げるにはよほどの勇気が必要で、それこそ「自分が不在のせいで、音痴というコンプレックスを持った加代が人前で歌う」姿を目の当たりにするくらい感情を揺さぶられる出来事がなければよっぽど無いことだと思います。
恥も外聞もかなぐり捨て、どよめく周囲の人たちを気にもとめず、「私は自分の名前が言えない」「どうして?」と繰り返し叫ぶシーンには、思わず涙を流してしまいました。
私は吃音という病気があること、そして吃音を持つ人がどんな苦しみを抱えているかを、恥ずかしながらこの作品を読むまで知りませんでした。
私自身、人には理解されにくいコンプレックスや変わった体質をいくつか持っている身ですが、この作品を最後まで読まなければ、吃音に関する色々なことを正しく理解できていなかったかもしれません。
それでは、自分のマイナーなコンプレックスは理解して欲しい、でも人が持っているマイナーなコンプレックスのことは知らない、という事態を招くかもしれず、怖ろしいと思いました。
「人に理解されにくい体質やコンプレックス」の存在を、それを持たない人も含めて共有することの大切さを改めて感じました。
そして、吃音をテーマに描いた作品にも関わらず、ついに最終回でも「吃音」という言葉が出てこなかったことも印象的でした。
人間には誰しも、「よくわからないこと」にも名前が付いていれば安心できるという一面があると思います。
しかし、本作では一貫して志乃の「言葉がうまく出てこない」体質に名前は付かず、彼女の家族を含め、周囲の人たちにもその性質を理解されにくいという状態が続きます。
これは、吃音は確かに障害のひとつですが、病気だなんて銘打たず、個性として捉えることも可能という風にも考えることができ、なんだか自分の変わった体質も含めて肯定されたように感じて不思議と胸が温かくなりました。
激しく感情を吐き出した末に志乃が呟いた彼女自身の名前は、他のどんな言葉よりも読者の胸を打つものでした。
学校を舞台に進行してきたこの物語は、誰かと結婚した志乃が、電話で言葉に詰まってしまったところを幼い我が子にフォローされるシーンで幕を下ろします。
このラストシーンが本当に秀逸で、ほとんどの場面で堅く縮こまっている印象だった志乃の、成長して余裕を持った姿には、読んでいる方もようやく肩の力が抜けました。
志乃の結婚相手が菊池ではないことを残念に思う読者もいるかもしれませんが、私は自然な流れだと感じました。
志乃と菊池の間に起きてしまった齟齬は、修復はできてもそれ以上の関係にはなり得ないほど致命的なものだったように思います。
しかし、最後に描かれた志乃・加代・菊池の三人が温かな表情で映った写真が、彼女らのその後を物語っているように感じました。
志乃はあの時感情を爆発させたことで、殻をひとつ破ったでしょう。
加代も同じく、自分のコンプレックスをさらけ出した結果、友人との関係を修復できたことで、山をひとつ乗り越えることができたと思います。
菊池も不器用なだけで根は良い人ですから、今回のような失敗を繰り返しながらも人として成長していけると思います。
本作で明確に描かれたハッピーエンドは主人公である志乃の分だけですが、物語を通して共に成長してきた加代・菊池にも同じようなハッピーエンドが訪れているのだと私は信じています。