ひばりの朝、最終話 完結2巻 感想
※ネタバレ注意です※
『ひばりの朝』はヤマシタトモコ作品の中でも、非常にメッセージ性が高く、そして重いテーマを扱っている作品です。
主人公のひばりは、中学2年生。
控えめな性格とは裏腹に、その肉感的な身体つきや目立つ容姿のせいで、同級生や先生周りの大人から、偏見の目で見られています。
両親ですら彼女の本質を見誤り、誰も彼女のことを理解する人はいません。
同級生から日常的に受ける陰湿ないじめ。両親からのモラルハラスメント。見知らぬ大人から浴びせられる性的目線。
自分が悪いわけではないのに、なぜこのような目にあうのか。
14歳という多感な時期に向けられる、悪意や偏見、同情、無関心…。
様々な理不尽さにさらされ、彼女は誰の助けも得られぬまま日々を過ごしていきます。
「親も先生もともだち…も みんな死ねって思っても全員殺して回れないから
たとえばあたしが死んだら全員消しちゃったことにならないかな。」
ひばりは解決策が見つからない現状、終わりのない苦痛によって、精神的にも追い込まれていきます。
最終話は中学時代から高校時代をふりかえり、これからの生活に向かうひばりの姿が描かれています。
同級生による集団いじめ。先生は見て見ぬふり。
家庭では自分を理解しない母親と自分を性的な目で見る父親と過ごす。
学校にも家にも自分の居場所はないと、孤独と絶望を抱えるひばりでしたが、ある時、その苦痛を和らげる自衛の術を生み出します。
「おおよそ 千五百回の夜を 息をとめたまま 眠る」
高校を卒業するまで、何があっても、感情を揺らすることなく、我慢し、耐え抜く。
無感情を突き通すことをひばりは心に決めます。
精神的に辛い場面になると「息を止めていたので平気でした。」というフレーズが、この頃から現れるようになります。
同級生から噂話をされていた時。自分を好きだと言っていた男子が別の子から告白されていた時。父親が自分に性的視線を向けていると感じた時。中学校の卒業の時。
「わたしはずっと息を止めていたので平気でした。」
平気なわけありません。
そうでもしなければ、心が死んでしまうから。
中学から高校までの限られた青春時代を、14歳の少女が、感情を押し殺して過ごさなければならなくなった事実は、読んでいると非常に胸を締め付けられる思いでした。
ひばりは中身は素直で内向的などこにでもいる中学生です。
周りからの謂れない偏見ややっかみによって、屈折した学校生活しか送れなかったことが残念でなりません。
ただ、では環境の改善をするにはどうしたら良いのか。
どうすればひばりを救えたかというと明確な答えは私には出せません。
善悪は分かっても、学校という閉鎖的空間、集団の中では通用しないことが多いからです。
これは漫画に限った話ではなく、現実でも抱えている問題だと思います。
いつの時代も学校という狭い世界では、大なり小なり理不尽が横行します。
その理不尽さに巻き込まれてしまった子どもたちは世の中にはたくさんいて、ひばりと似た経験をしていた子もきっといるでしょう。
その子たちも、現状にもがき苦しみ、助けを求めているかもしれない。追い詰められているかもしれない。
それを思うと尚更、明確な救済方法が見いだせないことにやるせなさを感じました。
作品を通して非常に重く、心臓をえぐるような出来事が続きますが、ひばりにとって唯一の救いは、最終話で息を止める生活の終わりを迎えたこと。
ひばりは高校の卒業式後、消息を絶ちます。親に卒業式の日程を嘘をつき、親の元から離れたのです。
これまで自分を支配してきた環境からの解放。
息を止めて眠っていた長い夜から、ひばりはようやく目覚め、朝を迎えることが出来ました。
もちろん未成年が一人で生きていくのは容易なことではありません。
しかし、現状のまま親元に身を置くことより彼女は自由を求めた。
「あの朝がきたことは たぶん一生忘れません。」
最終話の冒頭で記されたひばりの心情ですが、大きな決断をしたひばりですが、長い夜から明けた朝は、きっと希望に満ちているのではと思わせるような最終話でした。
ショッキングな内容でしたが、おそらく一生忘れない作品の一つになると思います。