育児漫画です。1991年に単行本が発売されているので、もう25年以上が経っています。(たまちゃんも、たいちも、きすけももう十分なオトナなんだあ。たけ坊だって成人しているなんて!)
当たり前ですが、登場人物はいつまでも年をとりません。本を開けば、いつまで経ってもおちびさん達がわやわや、わやわやしているのです。
当作品は、作者の森本梢子さんがご自分のお子さんをモデルに、限りなく現実に近く描いてあるそうです。
女の子が生まれた一家が、祖父母や伯母一家、地域の友人家族と繰り広げる、育児の本音満載のお話です。
線がシンプルで、絵が見やすいです。また、作者さんのセンスがよいです。
まだ赤ちゃんが小さな頃のママりり子さんのワンピースが可愛くて、子育て中にこんな格好ができるの?と驚いて、私は嬉しくなりました。
尤も現実にはオシャレなどできませんで、本作でも「スカート、ハイヒール、アクセサリー、口紅などはあきらめましょう」とありました。
それにしてもセンスの良さは随所に表れており、特に各話の扉絵や文庫本カバー絵が可愛くて素敵です。
育児というと最近では特に、大変な一大事業であるというイメージが広がっているようです。
育児が大変で、人間を一から育て上げる素晴らしさは、事業にも匹敵するというのは賛成です。が、あまり堅苦しく捉えてしまうと、煮詰まって頭打ちになるのも育児です。
育児は大変だし、時に苦しい。そんな時、「わたしがママよ」は母親の味方になってくれると思います。
特に重大事件があるわけではありません。子育て中のどこの家庭でもあるような日々の生活が、慌しく過ぎていくのです。
とはいっても事件がまるでないわけではありません。
事件、それは、おちび共が引き起こす予測不能の数々なのです。
「なに、これぇぇぇ?」「ひ~~~」「や、め、て~~」「こらあっ」といった叫びが沸き起こる、沸き起こる。
まだお子さんのいない方、子供が生まれたら退屈な日々からは間違いなくオサラバできます。本作でそれがよくわかります。
体つきが大きくて、結構「ジャイアン」が入っている主人公のたまちゃん。
母りり子の姉なな子の息子、たいちと、きすけ。数年遅れで生まれる、なな子の三男たけ坊。
エピソードがありすぎてどれを上げればいいのか、正直わかりません。
例えば、1歳くらいでたまちゃんが言葉を覚えたての頃、初めは両親とも喜んでいたものの、何故か「あきて~(開けて~)」という言葉を頻繁に使うようになりました。
もともとはおかしの入った缶を開けて欲しかったのが、何かを要求するとき全てで使うのです。
何か欲しい時、どこかへ行きたい時、何かをして欲しい時「あきて~」なのです。
たまちゃんは声が甲高いので、両親はうんざりでした。
言葉を覚えたての子供は不思議な造語も持つようで、従兄のたいちは「はうだけ」という意味不明の言葉を使っていました。
道ですれちがった子が「まうだけ」というのを聞いたこともあるそうです。
対照的なのが、従弟のきすけでした。運動神経が発達して、めったに泣かず、大抵のことは自分でできる。
それがおしゃべりになると、ゆーっくりと幼子にあるまじき野太い声で「んだーじゃ(おかあさん)」「んだーじゃ(おとうさん)」。
りり子には区別がつきません。低い声で間延びして「おーんまーのおーやごーは(お馬の親子は)」と歌うのを聞くと、体中の力が抜けるとありました。
このエピソードからも、子供の発達は十人十色なのだと思わされます。
しかも上段に構えず、恐らく現実を捉えて、笑える話として再構築してあるので、育児書のような硬さがありません。
どころか何度読み返しても笑える楽しいマンガです。
お腹を抱えて笑ってしまう程のお話を通して、育児あるあるに頷いたり、「そんなに難しく考えなくてもいいか」と肩の力が抜けたり、本当にお世話になりました。
現実の子供が成長しても、「わたしがママよ」を開けば作中の子供たちや自分の子供が、幼く、泣き笑いして過ぎて行った懐かしい時をなぞることができます。
時を越えて読み継がれていってくれるとよいなと思います。