11月のギムナジウム、最終話 感想
※ネタバレ注意です※
雨の光景が、萩尾望都の作品には頻出します。
「この11月のギムナジウム」も同様で心象風景として、「雨模様」がよく映し出されています。
ゴシック建築の古い建物、アイアン造りの門、まっすぐに降り注ぐ雨、抒情感あふれるコマから始まり、心癒されます。
コマ割りが多いですが、一つ一つの枠の中に多くの人物が描き込まれています。
舞台はドイツのギムナジウム、日本人には少しなじみが薄いですが、ヨーロッパ独特の教育システム文化として、大変興味深いです。
主人公エーリクが転校してきた、この全寮制の学校には彼そっくりの少年、トーマ・シューベルがいました。
萩尾氏の別作品では、エーリクとトーマは生きて出会うことはありませんでしたが、この作品では見事に邂逅しているのに驚かされます。
周囲のあおりもあったのか、最悪な形で二人は対面してしまいます。
顔は似ていますが、キャラクターは正反対です。
如実に初見のときの態度にそれはあらわされていました。
学校一のアイドルの美しく愛らしい容姿をしたトーマ、上級生のオスカーも大変可愛がっている様子が伝わってきます。
黒ずくめの制服の生徒であふれた騒々しい男子校ですが、なぜか華やかさを感じます。
エーリクはトーマに良い印象をもたなかったようですが、トーマは反対に気になっているようです。
常にエーリクを見ています。
単純に気に入ったわけではない深い理由があることがトーマの目が静かに語っています。
しかし、トーマに恋している他学生はいっぱいいます。
不良学生のオスカー、学級委員長のフリーデル、トーマを見る目つきが本能的です。
そんな彼らの熱情を冷ますかのようにまた、雨の情景です。
次第に激しくなってくる雨の音に読んでいるこちらも一息入れます。
不意にキスをしようとしてくるオスカー、振り払うトーマ、おとなしい彼がはっきりとした態度を示したのは、エーリクの出現が原因でしょう。
トーマはそして、自分の命がもう随分短くなっているのを悟っています。
ある激しい雨の日に、エーリクのふりをしてケープ付きのコートと帽子をかぶり、エーリクの母親に会いにいくのです。
母親は全く自分の息子だと信じて接してしまう、それはとても残酷で一層トーマを傷つけてしまったのでしょう。
天使のような外観を持った彼らしからぬ悲壮感に満ちた表情が、トーマのすべてが終わってしまったことを示しています。
背景をも含めて丁寧で細かな心理描写に魅入られます。
トーマは亡くなり、冬の早朝、学校の門の前の葉がすべて落ちてしまった木々のしたで、エーリクは学級委員長のフリーデルにトーマと自分との隠されていた関係を聞かされます。
影を帯びた校舎と石畳がこれからフリーデルの口から出る話の深さを静かに表しています。
一切の哀しみや辛さ寂しさなどと無関係にみえた、周囲に愛されていたトーマ・シューベル、「砂糖菓子」とあだ名をつけられ、だれもが彼に近づこうとしていたのに、彼は誰をも愛していなかったということを知らされます。
彼が求めていたのは、「エーリク」血を分けた双子の兄弟をずっと待っていたのでしょう。
そして、本当の母親に自分の名を呼んでほしかったのでしょう。
エーリクの母とトーマの兄とされた15歳の少年は心から愛し合っていたということだけが、彼らにとっては唯一の救いです。
許されることではないですが、真実で一途な愛から、二人の男の子が生まれた、それは不幸なことでも幸福でもなく、この世に神様が授けた天使たちだったのでしょう。
見ているだけで幸福にさせる存在であったトーマは皆に愛されていたけれど、本当に愛されたい人には愛してもらえなかったということだけが、とても皮肉です。
母親に愛されていたエーリクのほうがはるかに幸せであったということをトーマはどんな思いでみていたのでしょうか。
愛や幸福というものは何なのだろうかと考えさせられます。