風の情景 池田理代子さん、後編 感想
※ネタバレ注意です※
精巧に描かれた華やかな牡丹としっとりとした藤の花を垂れ下げた御所車の扇子の絵から、ページは始まります。
昔はさぞ美しかったであろう初老の女性・酒向昌子と30歳前後であろう娘の燁子(あきこ)と二人の母娘の女性としての物語で、心の声を中心に淡々とすすんでいきます。
民芸調の小箪笥に置かれた電話の受話器を戻し終わった昌子の横顔は美しいです。
「とっくにわすれたつもりで、今日まで生きてきたのに……」というセリフに読んでいるこちらには、もどかしさがつのります。
娘の燁子は、自分に差し出された得体のしれない手紙をめぐって、大学の研究生の男性と、古めかしい喫茶店で相対しています。
手紙の主はこの大学研究生の父親でしかも、25年も前に亡くなっていると事実を知らされています。
娘・燁子の日常と母親・昌子の毎日がオムニバス的に進行していきます。
母・昌子は婿養子である夫の別宅のマンションを訪れ、エントランスで偶然にも夫と鉢合わせてしまいますが、直前に知り得た夫の秘密に混乱したのでしょう。
夫が話そうと腕を掴むものの、強引に逃げ帰ってしまうのです。彼女の気位の高さが感じ取れます。
そして、娘・燁子も付き合っているやや年配の男性との仲が膠着気味なことに、一人涙を浮かべながら、心になかだけで言葉を発することで、寂しさを逃がそうとしているのです。
全く、この母娘はよく似ています。頭が大変良く、弱音を吐くこともなく、強い女なのですが、同時に大変にもろいのです。
男女雇用機会均等法が定められた時代のモデルのような女性の在り方をテーマに制作された作品ということもあるのでしょう。
現在女性と比べると、あまりに完璧すぎるのです。
聡明で品格があり、見苦しさを一切他に見せることはしない生き方ができるのは理想ではありますが、息苦しくもあります。
しかし、ふと見せる弱さが、とても心を打つシーンがあります。
母の昌子が、若い娘時代に付き合っていた男のことを如実に思い出すコマがあります。
硬い鎧を解いたその表情はとてつもなく哀しいのですが、清廉さも与えてくれます。
昔、結婚を約束した男のことを心の奥底ではまだまだ忘れてはおらず、待っていたのでしょう。
本当は昌子に宛てられはずの、その古い手紙が教えてくれた「真実」を確認するため、昔の婚約者の妻に会いにいきます。
その妻は病床にありましたが、昌子とどこか面差しが似ていました。
この女性がどんな思いで夫が書いた古い手紙を差し出しにいったのかを思うと、少し恐怖があります。
復讐という言葉を病床にある妻は使っていました。夫を本当に愛していたのでしょう。
死を前にしてこの女性の在り方も凄みがあります。情念としか思えません。
ほんのちょっぴりだけのタイミングのずれが、この初老の二人の女の人生を大きく狂わせてしまったのです。
昌子の婚約者の男は結果的にひどく恨まれる立場で亡くなってしまったということになります。
女の人生の大半は、やはり男によって大きく変えられてしまうのでしょうか。
女性の心は、いくら挑戦的に強く生きようとしても、どこかによりどころがないと生きてはいけないような思いがします。
昌子も元婚約者の男性の妻もどこかで、自分の夫をも深く愛していたのではないでしょうか。
そして、それぞれの夫も妻に情を持ったのではないかと勝手な解釈をしてみます。
女の性はどんな瞬間もだれかを愛さずにはいられれないものでもあるようです。
最後に娘の燁子と母親の昌子のリアルな時間が重なり合ったとき、二人は自分に与えられた人生に納得ができたように見えました。
晴れ晴れとした、この母娘の表情に、これからの女性の生き方に明るい希望の光も感じさせられます。