篭の中の鳥、最終話 感想
※ネタバレ注意です※
タイトルページに、見事な羽根を広げた見たこともない鳥の柄を模したたっぷりとした布の衣装を身にまとっている、南アジア系の容貌のとてもキレイな、ヒトの絵が登場します。
圧倒的で堂々としたいで立ち、強いまなざし、舞踊をしているのでしょうか。不思議なポージングにこれから読もうとする人間に不可思議さを感じさせます。
10代に入ろうかとみられる少年が、真裸で、震えているように身をすくめ、片膝を立てて座り込んでいるのが目にはいります。
何かに怯えているような、それでいて周囲を拒絶しているような、凄絶な光景です。
トーンの使い方も独特で、少年の心のなかをそのまま映し出しているのでしょう。
トリと人という、一見、非常に遠い関係にある生きものが、この話のテーマということをまず告げています。
「鳥人」というワードがすぐにあらわれ、単なるオカルティックなことを伝えたいのではないのだなと、もう読者は察せられます。
目の見えない祖母、ヨミノ山というあきらかに死に関わった名前の場所にある少年「融」の家、父と母はなぜか彼「融」のそばにはなく、全く「融」に似ていない醜い様相の祖母が彼の唯一の家族というところからも、「融」がとても孤独な生い立ちということがわかります。
祖母が先に「ごちそう」を食べてしまうところも冷淡さがあり、「融」に愛情があったかどうかは分かりませんが、たった二人だけの村里から離れた暮らしにはつねに不安もつきまとっています。けれども、みょうな癒しのような空気も漂います。
祖母は飛ぶことができる、飛んで亡くなった人間をあの世から一度だけ呼んでくることができる超能力を生まれつき持っているトリといわれる種のモノ、大昔からその能力を利用して生きながらえてきたということが、幼い「融」を苦しめます。
そんな「融」に民族学者の「人見」という男が近づいてきました。
祖母が亡くなった直後、「融」が心を許せるのは彼しかいないのです。
飛べない「融」はヨミノ山にもいられない。
民族学者の人見の家に鳥人族の研究材料として引き取られた「融」は生まれて初めて、文明に触れていくことになります。
奇異に感じるのはスピードを出した車に、彼はうまく避けることができないということです。走ってくる車との距離感がわからないと「融」は」言っています。
彼の持つ遺伝子のどこかが、速く動くものに対してうまく指令を出せないようです。
まさしく、トリの片りんを示唆しているできごとです。
人見家で、つかの間の平和な生活を得た「融」は、それを邪魔する八重子という女性に乱暴をしたあげく飛び出ていった彼を見つけ追ってきた人見を自動車事故に遭遇させてしまいます。
轢き飛ばされて意識を失っている人見の体にすがりつく「融」は人見の魂が「融」に移っていくのが見えました。
そして、空高く飛んだのです。ヨミの世界に行こうとする人見の体をつかむことができたのです。彼は、トリだった、それも原始のトリの能力をそなえていた最も優秀な鳥人であったということも証明されました。
一度は亡くなった人間を現世に戻し再び命を与えることができる素晴らしい遺伝子を目覚めさせることができたのです。
しかし、「融」にとってこんなことは、どうだってよいことなのでしょう。
彼が欲しかったのはトリじゃない、人間だったのですから。
最後のページで人見が「融」にかけていた病室での言葉は彼にとってこれ以上の安らぎはなかったことでしょう。
「融」はやっと人の情というものを知り、安堵して将来をあゆんでいけることが確信できたのです。
白い病室のなかで、他の患者さんの表情、床に長く伸びた看護士さんの影がとてもやわらかく、これまでのコマからは感じることはなかった、優しさが表現されています。