昭和元禄落語心中、最終話 完結10巻 感想
※ネタバレ注意です※
八雲師匠が死した後、その後のキャラクター達の描写、そして信之助の本当の父親は……といった部分が明かされ、様々な衝撃と感動が詰まった最終話でした。
小夏さんと与太郎の間に出来た子の名前が小雪っていうのも、個人的に好きです。
小雪ちゃん、名前とは正反対に、夏の陽気な気候みたいに元気な子で。
でも、あの性格なら、みよ吉のようになる事も、小夏のようにみよ吉の血がこうさせるんだ……みたいな愛憎に苦しむ事もないのかもしれないとも、ちょっと思います。
愛憎といえば、樋口先生と小夏さんが二人きりで信之助の本当の父親の秘密や、八雲師匠について話すシーンがすごく胸に来ました。
小夏さんが語る、八雲師匠に対する複雑な感情というのが、最終話より前のそれまでの話を思い返してみると、本当に細やかに描写されていたなぁと、小夏の心情を読んでしみじみしました。
幾つもの感情が複雑に混ざり合った心境を描写するのは、かなり難しい事だと思うのですが、読んでいてひしひしと感じ取っていた事だったので、小夏の心情に関しては、深い納得がありました。実に人間らしい人だなぁと思います。
また、九代目八雲を継いだ与太と信之助が寄席の楽屋で話すシーンも、かなりジーンと来ました。
与太郎が助六を継ぎ、そこから九代目八雲を継ぎ……そして、信之介が菊比古を継ぐ。
それだけでなく、助六から八雲へ、そして与太郎に受け継がれていた扇子が、信之助に託される。
師匠から弟子へ、親から子へと受け継がれていく――すごく、落語らしいと思いました。
与太郎は究極のポジティブ思考であり、光であると読みながら思っていたのですが、この最終巻で特にそれを感じたシーンが二つあり、一つ目は、雨竹亭での襲名興行で死神をかけた時、ラストで八雲師匠が目の前に現れても、「なんだ、夢かぁ」と夢オチの笑いに持って行く所でした。
目の前に現れた八雲師匠の幽霊に対して、あの返しが出来るのは凄いと思います。
みよ吉や助六の幽霊に怯え、心乱れた八雲師匠や、何も言わずに自分を見つめ続けるみよ吉の幽霊と相対する小夏のように感情的になるでもなく、笑顔に変えてしまう与太郎は、本当にメンタルが強いなぁと思いました。
いや、強くなった、のかもしれませんが。
与太郎の器の大きさも相まって、余計にそう感じるのかもしれません。
八つ当たりされても受け入れて「いくらでもほん投げてください」と言えてしまう与太郎ですから、「哀れだねぇ」と言葉を投げて来る八雲師匠……いや、死神でしょうか?すら、笑って受け止めてしまう度量を持っていても納得です。
もう一個所は、ラストですね。
松田さんが、涙ながらに昔語りをするシーンで、旅館で聞いた事は、小夏さんには一生内緒ですよ、と語るシーンで、与太郎の言う「生きてりゃどうしても言えない事なんざ いくらでも出てくらァ しょうがねぇなぁ 人間てのは」と笑いながらいうシーンがありますが、ここが凄いなぁと思いました。
深読みだとは思いますが、与太郎はもしかすると、信之助の本当の父親なのか、薄々勘づいていて、敢えて心に秘めているのかもしれないな、と思いました。
「誰が何と言おうと信之助は自分の子、誰にも文句は言わせない」と啖呵を切った与太郎です。
その通り、もしもそうだとしても、そんな事はどうでもいい。
今、この子は自分の子である、と思っているのかもしれませんが、師匠と弟子の関係でもある二人ですから、信之助に八雲師匠の血を感じていて、敢えて真相は藪の中でよしとしていてもおかしくはないと思いました。
最後の締めくくりの、落語がこの世からなくなるなんて考えた事もない。こんないいものがなくなる訳ない。というのも、すごく前向きで、与太郎らしく、与太郎の凄さを感じさせる台詞だったなぁと思います。
本当に本当に、感動する漫画でした。「人間とは何か」が詰まっている作品だったと思います。