アナーキー・イン・ザ・JK、最終話 感想
※ネタバレ注意です※
個性的すぎる女子高生たちの日常を描いた「アナーキー・イン・ザ・JK」シリーズをはじめ、擬人化ごっこをすることでマンネリを防ごうとするカップルの日常を描いた「ぎじんかっぷる!」シリーズ、その他いくつかの短編作品を織り交ぜながら進んできた本作ですが、作品の締めを飾るのはやはり表題作でもある「アナーキー・イン・ザ・JK」です。
最終回ということで、テーマは「卒業」。どうしても湿っぽくなりがちなテーマですし、実際序盤は少々湿っぽいですが、すぐにいつものゆるい空気に戻り、日常会の延長のような空気を保持しつつ幕を下ろします。この空気感がたまらなく好きで、オチもまたゆるく、彼女たちの関係はこれからも続いていくんだろうな、と感じさせてくれる最終回でした。
ところで、私は「はじめは意味が分からない、意味があるのかも分からない物語だが、話しが進むにつれて真相が明らかになってきて、読み返してみると序盤の物語もきちんと意味があるものだと分かる」タイプの物語が大好きです。しかし、それと同じくらい、「はじめは意味が分からないし、実は意味があるように思えるのだが、最終回を迎えても結局意味は分からないまま」というタイプの作品も好物です。つまり、「アナーキー・イン・ザ・JK」は私にとって、どっちに転んでもおいしい作品だったといえます。
アナーキー・イン・ザ・JKで「意味が分からないが、意味があるかもしれない」の最たるものとして挙げられるのは、やはり「異形」ともいえる主人公たちの容姿でしょう。単眼の吉川っちに、発情するとお尻が光るホタル女子の蛍(ホタル女子って何だ、という感じですが)、他の登場人物たちと明らかに等身が違うさとみ。この三人のビジュアルは、眼帯を身に着け、実の兄とアブノーマルな関係にあるがそのことについて深く感じることはない沙知と、ドMの美形女装男子・悠という本来濃いはずの他のメンバーをややマトモだと錯覚させる程度には異彩を放った容姿をしています。
では、この際立った個性を持つ5人がいるのは、一体どういう世界なのでしょうか?物語が進むにつれ、世界観が明らかになってくるのでしょうか?しかし、とうとう最終回を迎えても、世界観に触れられることは一切ありませんでした。舞台は高校である以上の情報は明かされず、吉川っちは単眼だから単眼、蛍についても同様の扱いです。ダイエットに成功して等身があり得ない伸び方をしたさとみについても、そのことに触れられたのはたった1コマ2コマです。
しかし、私はその、個性的すぎる個性をありのまま受け入れる彼女たちに対し、深読みして感動してしまいました。吉川っちの単眼は「異形」ではなく「個性」。作中でも彼女に対し「目が大きいよね」と褒めたり、「家族はどんな容姿をしているのか?」と好奇心を持ったりはしても、「目がひとつしかない」と思ったり、変わっている・変だと突っ込んだりする人はひとりもいませんでした。みんなそれぞれ、お互いの個性を「ただの個性」としてナチュラルに受け入れながら、友好関係を深めていくのです。
このスタイルが最後まで貫かれているのを見て、私はなんだか納得してしまいました。彼女たちほど極端ではないにしても、現実の私たちにも人それぞれ、他人にはない個性を持っています。それを「変だ」と言って傷つけあうこともなく付き合っていくことは可能なのではないかと、最終回を読んで思いました。
しかし、本当にそこまでの深いメッセージ性を持った物語だったと言うと、イエスとは言い難いところがまた、この作品の魅力でもあります。最後まで、肩の力を抜いてのんびりと楽しむことができる作品でした。