オルフェウスの窓 外伝、最終話 感想
※ネタバレ注意です※
ドイツ・レーゲンスブルクの美しい街並みと二つの尖塔を持つ教会を背景に粗末な荷台馬車に乗った二人の父・息子のシーンから始まります。
風渡る自然豊かな街の風景に心が落ち着きます。
この作者さま独特の線描のような細いラインの描写が見事です。
画面レイアウトが盛んに重ねられているのも読み進めたくなる気持ちがうながされます。
父子の今度の職場の御屋敷に到着し、当主の夫人の御迎えです。
いかにも、謹厳実直で上品な顔立ちのドイツ系らしい美しい奥様です。
このお屋敷の息子のヘルムートからさっそくこの父子は嫌がらせの洗礼を受けますが、父親のマチアスはあまり、当惑はしていません。
優しく、息子のキーゼルの心に沿いながらそっと見守っています。
が、どこか物憂げです。ほぼ、表情を変えることはない父マチアスですが、キッペンベルグ家の名前を聞いた途端大きく青ざめます。
彼は反芻します。何度も何度も、自分が過去愛した女性との思い出をかんがえ、誰をも愛さないという誓いを自分の心の「よすが」としようとして苦しんでいるのです。
そして、自分の「息子」として赤ん坊のころから慈しんで、育ててきたキーゼルとの今までに小さな光を見出しています。
しかし、自分たちを知るものが多いレーゲンスブルクから幾度か逃げようとしますが、時代は苦しく、彼等には、もういくところがありません。
過去のあやまちに責められながらも、「息子」キーゼルのために「父」として、この屋敷ライナー家にとどまるこに決心をします。
彼マチアスは独りではないのです。愛する「息子」がそばにいるということは、彼の生きていく中でどれほど心強いものだったのでしょう。
不安や恐怖にさいなまれながら、父マチアスは同時に大きな愛を「息子」であるキーゼルから受けているのです。
キーゼルも父の苦悩をいつからか意識していたのでしょう。
彼も良い「息子」であろうと努力しています。さて、この父子の仕えることになった、フォン・ヘフリッヒ家という貴族の家庭も闇があります。
当主ヘフリッヒ氏が帰宅したとたん、始まりました。自分の息子ヘルムートへの夜な夜なの鞭打ちの虐待です。ヘルムートは分かっているように、平然とそれに甘んじているのです。
そんな中、ヘルムートとヴィオレッタの兄妹は、「悪い遊び」に興じていきます。
ヘルムートの唯一のはけ口でもあるのでしょう。
キーゼルもヘルムートに毎晩のように行われるヘフリッヒ氏からの虐待を目にしていますが、ヘルムートの自分に向けるするどい視線で、何かを悟り緘黙してしまいます。大変聡明な子です。
この屋敷で目に光があるのは、キーゼルとヘフリッヒ氏の娘ヴィオレッタだけです。
他の人々は互いに目を合わせることをしません。
ある日のこと、マチアスがあれほど避けたがっていたキッペンベルグ家との息子とヴィオレッタとのお見合いを兼ねた会食が催されます。
それをさかいに、大きくこの屋敷の人間関係が変化します。
ヴィオレッタの見合い相手であったキッペンベルグ家のカールは行方不明になります。
当主のフォン・ヘフリッヒ氏も政治事件に関与した容疑で逮捕、こちらも行方不明となります。
ある日、マチアスは当主夫人の使いで、「オルフェウスの窓」に向かい、見知らぬ女の子と対面します。
この窓は大きく彼の運命を変えました。この偶然の対面が彼自身も知らなかった自分の素性を公の元にさらけ出すことになります。
そして、彼キーゼルの実の親族たちが、彼を連れ戻しにきたとき「父親」のマチアスはすべての苦悩から解放され、沼の奥底に沈んでいきました。
まるで、自分の罪を贖い、また魂を浄化するように自分の痕跡をきれいになくしていきました。
素晴らしい父親の義務をこれで果たしたのです。それを物語るようにその後「息子」キーゼルは実の家庭に戻ることはありません。
彼が親として愛したのはマチアスだけです。幸せな子だったのです。
反対にヘルムートは誰からも愛されずに育ったとても残酷な人生でした。
最後にキーゼルと夫婦になったヴィオレッタの赤ちゃんはよく泣いていました。
この子はあれほど愛を欲しがっていたヘルムートの生まれ変わりかもしれません。
「この世が悲しみに満ちていることをこの子は知っている」というヴィオレッタの言葉は忘れられません。